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日常茶飯事とお仕事と

餌をつり下げて誘導する教育は動物の調教と同じ

同じく「勉強しなさい」は一度たりとも言われた覚えがありません。

「100点取れて、エライね!」がダメな理由
http://president.jp/articles/-/12016


ドラえもんをはじめとしたマンガにちょくちょく出てくる「勉強しなさい!」とガミガミ言う親ってのがよく分かりませんでした。あと「成績/学力アップ」とかうたってる進研ゼミの広告も未だに今ひとつピンときません。成績アップ、って本人が「成績/学力アップした」ってそんな実感できるようなものなの?というかそれでいいの?それって学校のテストの点数や模擬試験のランクが上がったってことであって、それは「学力」なの?

だからたまに見かける、子供に対して餌をぶら下げるタイプの方針に…、細かいところまでクチを出して子供が失敗しそうな路線を矯正する……といったやり方をみて、ちょっとまて、と思います。餌で調教するのは動物と同じだし、死なない程度の失敗であれば体験しておくべきだとおもうからです。結果的に餌があったとしても、それは目的になってはいけないとおもうので。

じゃ、褒めるのはNGなの?

そういう人に指摘すると、たぶんこういう答えが返ってきます「褒めちゃ駄目ってこと?」。どうしてそう両極端なのかな?と自分は思うわけですが……。違うんですよね。褒めるってのは純粋に相手に対する感嘆の気持ちの表れや、謝意的な意味合いを込めて行うべきなんですよ。褒めることを相手の行動を制御する手段に用いるのは、いわば「本来の用途から外れた利用方法」。

営利目的や、目の前の課題を即効性のある方法で解決する方法の1つとして、褒めて動かす、ってのはあると思います。ですが、長期的な相手の成長を考えた場合、褒めるという手段が必ずしも正しいとは言い切れないと思います。

目的がすり替わるからです。褒められることが目的であれば、その目的を達成する手段はいくらでもあります。その1つには「不正」も含まれます。ばれなければ褒められますからね。

そうした余計な選択肢も含めて脱線する可能性がある手法を、手放しに導入してもいいのか、という点をそれぞれの親はよく考えるべきだと思います。もちろん、家事で忙しいなか、邪魔をしてくる子供の行動をコントロールするのに何か別のモノを与えたり、興味をそちらに向けるという「一時的な対象コントロールの手段」として、褒めたり、何か褒美を与えたりってのは有るかと思いますが、親自身がその方法に甘んじていてはいけないと思うのですよね……。

「ご褒美」もよく考えて

あと、ありがちなのが、たとえばゲームを「くだらなくて人を堕落させるもの」のように扱っている親が、子供に対するご褒美として「じゃ、これが出来たら1時間ゲームをやってもいいよ」とか言うケース。

これ、よくよく考えると、子供にとってのゲームの価値を高めているだけなんですよね。

親自身はゲームが嫌いで、そういうものはなくなればいい、と思っているくせに、子供に対する即効性のある褒美として使えるものだからそれをご褒美にする。子供にとっては「これをやればゲームが出来る」というメッセージにしか聞こえず、結果、ゲームのためになにかをやる。子供の中でのゲームの価値は、本来やるべきことよりも格上げされ、ゲームをやる許可を得る手段として学習や片付けと言った作業を行う。相対的に本来やるべき事は格下げされ、ゲームの価値はますます子供の中で膨らんでいく……。

ご褒美の内容をよく考えないと、親が思うのとは真逆の方向に子供を誘導することになります。なので、先に述べたように「一時的な応急処置として」くらいにしか使ってはいけないとおもうのです。

難しいし、面倒くさいし、正直、こんな事をイチイチ考えながら叱ったり教えたりするのはうんざりなんですが、それでも、親という立場を取っていく以上、そして、将来自立して生活していってもらうためにはこうしたところはきちんとおさえないといけないと思ってます。

遊びは、空いた時間を用いて楽しむべきモノであり、本来それ自体が目標になるものではないと思います。親は、目先の手軽さや服従(のような態度)のためだけに軽々しくうかつなご褒美を子供の眼前につり下げる事がないようにしないと、後々、いろんな方面からのしっぺ返しを食らうことになるのではないでしょうか…。

子どもが育つ魔法の言葉 (PHP文庫)

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